2019年11月15日

お茶も、お料理も、手芸も、お花も、


なんでもそう。



想いが入るからこそいいものができる。



昔は、感覚で何事も作り上げていたのに対して、


現在はすべて機械化している。



人の想いが入らなくなっている。



便利にはなったかもしれないけれど、


つまらない。




しんさんも言っていた。


昔の人たちは、


道とつく茶道や華道など、道を極めるために、


命を懸けていたと。


諦めることなく、突き詰めていたからこそ、


いまも残っているのだ。




コーヒーマシーンは、あるのに対して、


ティーマシーンは、あるにはあるけど、


なぜ、広まらないかというと、


紅茶は、人の手で淹れる方が美味しいから。



繊細な味は、機械では出せない。


人の感覚は、機械では、はかれない。



紅茶は、今でも手摘みで、人の手がたくさん入っている。



皆さんがわたしが淹れる紅茶は、美味しいと言ってくださる。



とっても嬉しい。



ある程度の淹れかたは伝えることができるけれど、


わたしが感覚的にやっていることを言語化するのは難しい。


淹れている回数も違う。




料理が分かりやすい。


うちの夫は板前。


料理教室は、絶対無理だと言っている。


喋りが苦手なのもあるけれど、


そのときの食材で分量も変えるから、


レシピにすることもできないし、


同じレシピで作ることができないという。


職人は特にそうだと思う。


なぜ?と言われても、


感覚的にそうなので、言語化できないのである。



わたしは、20歳くらいから毎朝必ず淹れている。


ということは、約20年弱淹れ続けていることになる。


紅茶との向き合いかたを知っていて、


毎日淹れているから、ちょっとした味の違いもわかる。


紅茶の味は、その日によって変わる。


ものすごく美味しく入る日もあれば、


いまいちな日もある。



「紅茶と気持ちが通じる日」



があるのです。



ただお茶を淹れるのではなくて、


お茶と向き合って、


気持ちを込めて淹れると、


味は変わる。



原理は、おそらく、豚にモーツァルトを聴かせる


と同じだと思う。



同じものでも、


気持ちを入れたときと入れていないときでは、


全然違う。



それから、一番大切なこと。


忘れてはいけない。


それは、使うものに対しての愛。



わたしは、磯淵先生の紅茶が大好き。


大好きな先生の紅茶だからこそ、余計に想いが入る。



お茶を摘んでくれている人を想い、


お茶を紅茶にしてくれる人を想う。



そして、想いを込めて紅茶を淹れる。



紅茶は、人が飲むから素晴らしい。




世界共通である。



愛しい紅茶。



紅 


紅茶の文字さえ愛くるしい。